ぼやくひとが好き

わたしはぼやいている人が好きだ。

 

おそらく好みのぼやき第一号は大泉洋だ。太平洋という文字を見ればいつでも洋ちゃんを思い出すほど洋ちゃんのことが好きで、きっかけはもちろん水曜どうでしょう。道民じゃないからリアルタイムではなくてどうでしょうclassicを見漁った側の人間で、なぜかユーコン川が初見だったのでこないだ出たDVDほしいなあと思っています。

 

ところでぼやくとは、ぶつぶつ文句を言う、とか、不平不満をつらつらと述べる、とか一般的にはそういう意味で、字面にするとこんなにマイナスなのに、洋ちゃんが「ぬぁんでこんなことぃやぁらなきゃいけねぇぃんだよぉっ」みたいなことを言ってるとにこにこしてしまうのはなんでだろう。

このぼやき好きは洋ちゃんとの出会いから10年経った今でもいろんなかたちでしっかりと継承されちゃって、「てめぇ…」って悪態つきつつも泣きながらジェットコースターに乗らされちゃうおりょうなんか手放しで推せちゃう。ロケ冒頭から「天気も悪いし…」ってぶつぶつ言う知念きゅんとか、「詰め込みすぎだろ」ってラジオスタッフにオコしてる光くんと伊野尾さんとか、例が全然思いつかないんだけどなんかいつも文句言ってるイメージのシゲアキさんとか、「またランキングだよ…」ってお便りの途中から声色曇らせる二宮さんとか、そういう文句を言う姿を見るたび安易に推せちゃうわ〜〜!って思ってしまう。

 

人生において誰かに、文句言ってねーでとりあえずやれよ…って思ったことのないひとがいるなら会ってみたいんだけれど、やっぱり職場なんかだと文句ばっか言ってなにもしてないおばさんとかがどうしてもいる。

学生の頃バイトが同じだった女友達が、なんというか文句の多い子だった。いっつもなんか文句を言ってるタイプの子だった。でもわたしはその子が大好きで、なぜならその子はどうにもならないようなことをぐちぐち言っているのではなくて、自分が不満に思う状況をどうにかしようとしている最中で、でもその過程でこぼした発言だったからだ。彼女のそういう発言には本心みがあって安心した。結局彼女はいつも文句を言って楽しそうだった。

きっとメディアで発せられている文句は、編集されてるから面白いし、仕事だから、やるからこその文句であってリアルガチではないからハッピーなバラエティ要素があるんだけれど、そこにこう、本心みがあるように見えるわけだ。人間見ている感が増す。

 

それに、ぼやくひとにはどこか色気がある。ぼやいているときどっかから色気が出ている。なんかフェロモン出るのかな!?と思って「ぼやく 色気」でぐぐってみたけど、徳光さんがロケで混浴できずにぼやいた記事ばっかり出てきた。ぶつぶつ言うときの声のトーンが低くなるからかな

ぼやく色気の関係性はちょっと検証していないけど、とにかくアイドルにおいてはなおのこと人間味にあふれるぼやきをお願いしたいなあと個人的に思っています。

アイドル的に好き、の個人的な定義:会いたいという観点から見る場合

アイドルは2.5次元のひとだと思っていて、もしももしも人生で彼らと出会うことがあるとしたら彼らはたちまちそこらへんの他人様となんら変わりない存在になって、こっちも人見知りは発揮するし口下手も発揮するし言わなくてもいいこと言っちゃうやつも発揮するしとにかくこちら側の人格が発生するということがわたしは恐ろしい。

けれど、それでもふと出先で「ここにもしあのひとがプラベでやってきたら…」とか、「知り合いの知り合いの知り合いが知り合いでもし知り合いになれたら…」という妄想シミュレーションは絶対少なからず毎日してしまうもの。

しかし対人関係を築くとなれば、彼らはわたしが今まで追って見てきた彼らではなくなる。もちろん彼らがどんな性格でどういう癖があってどういうひとが好みで…ということはあらかた把握してはいてもそれは結局は虚像を超えるものではなく、たとえかなり実像に近かったとしてもわたし個人との対人関係に於いてはまたわたしの想像の範囲内ではなくなって、、と前述に戻る。

 

それでも時に猛烈に個人として会いたいと思ってしまう気持ちの根源はなにか、本当の本当は何をしたいのかと考えた。

 

麗しい御姿を拝見したい。

これはもうそうなんだけれどそうなんだけれど一応言っておくけどわたしは彼のこと、顔だけが好きなわけじゃないんですよ。アイドルしている姿というのが重要なポイントなんだ。

本当の姿を検証したい。

こんなに考察に考察を重ねた自担の答え合わせをしたい…という心はくすぐられるけれど、アイドルは美しい嘘を身に纏っているからこそ尊いのであって、そんなことはすべきではない。

話をしてみたい、聞いてみたい。

なんならこんな質問できちゃうわたし個人の素晴らしさを認めてくれ。視点が鋭いわたしに気づいてくれ。咳払いが好きなら話の途中に咳払いもするからできる限りわたしのこと気に入ってくれ。

 

いや違う。

そんな俗っぽくない、もっと見返りを求めない、会いたいという純粋な気持ちがわたしにはある

 

 

そう、毎日こんなにも元気と勇気と愛をくれていつも頑張ってくれているあのひとに

ただ手放しでお礼が言いたい。

あなたの行動にいつも本当に元気をもらっていると。

世に出てくれて本当にありがとうと伝えたい。

(対面で)

(わたしが彼をまじまじと見られる状態で)

(彼がわたしをわたしと認識する状況下で)

 

 

という、欲求をそれぞれリーズニングし制御してなお葛藤しながら最終的にお礼を伝えたいから会いたいんだと纏める種類の好きさをわたしは、

「アイドル的に好き」と個人的に定義する。

 

お礼を言いたいという結論が出ることに、彼らを純粋に応援している本質と、好きなひとによく見られたいというプライドが詰まっている。

根源は美しいものが好きというとってもシンプルなものなのに、対象がリアルとフェイクの狭間の「生き物」で、わたしが見ているものは虚像で、実際には彼らの本質など分かるはずもないほど距離の遠い実在しているものなんだと頭では分かっているのに、より身近に感じられるシステムが確立しているおかげでどんどんこっち側の心だけが彼らに寄り添っているような気持ちになって、ますます客観と主観のジレンマが生じ、ゆえにそれらへの気持ちは単に好きだとかそういうものではなくもっと哲学的なものへ発展させてくれる余地がありそうで、結局はとっても個人的な好みと個人的な欲望が愛の深度を左右するもの。

 

知れば知るほどアイドルの特性「虚像と実物の壁」にぶち当たってはそこでいろんな考察をしたくなってしまうところにアイドルの沼があるような気がする。考察し甲斐がある快楽的対象。

アイドル的に好き、ってアイドル以外のどこに使うのっていわれたらそれはよく分からん。